2017/12/30

多摩六都科学館でボール式マウスをミタ!




この間仕事の帰りに逃げたくなり、帰りの道順をめちゃくちゃに変えて車を走らせていたら偶然多摩六都科学館の近くに来た。

この科学館は昔、休みに家族て行きたい場所の候補に挙げた事は有った。でも実際に来たことは無くて(確かその時は値段が高いとして却下された)、一度来たいとは思っていた。

しかし、チャンスもあまりにも突然来ると戸惑うもので、時間もないけどどうしようか? トイレを借りたくなったという理由を思いついて寄ってみることにした。

その日は保育園とインターナショナルスクールの子供達が見学にきていたようで、凄い賑やかだった。私がトイレに入っていると外で、「ねえ先生、トイレにだれか入っているよ。誰? 誰かなぁ」と言う声が聞こえてちょっと困った。


何故か女子高生のグループも来ていて、月の重力体験装置に乗って騒いでいた。
その重力のコーナーには、地球で1kgの物が太陽系の他の星々でどの位の重さに感じるかという展示が有った。同じサイズで、例えば月は1/6kgと言った色々な重さのおもりがぶら下がっている。太陽は28Gと書いてあったので持ち上げてみたら持ち上がった。これはおかしいと思って係の人に聞いたら実はそれだけ重さが足らなくて12kgなんですよと教えてくれた。
とっても楽しかったです。

って、読み返してみたらまるで小学生の作文だなこれは。

2017/12/19

Siriは流れている曲の名前を教えてくれた



パソコンでの作業中、Youtubeでお勧めのままにシタールとピアノで奏でる中東の音楽を聴いていたら、突然耳慣れたメロディーが聴こえてきた。

なんだか懐かしいような、思い出を辿ってアルバムをめくりたいような、そんな気分になり、他の演奏も聴いてみたくなったのだけど曲名が分からない。

手元のスマホでGoogleアシスタントさんに聞いてみた。そうしたら素っ気なくエラーですと帰ってきた。エラーならせめて何エラーか教えろよぉ、と思う。

でもまあ、有給休暇を取りたい人にその理由を問うてはいけないように、システムに立ち入らず素直に受け入れるのがこれからのコンピューターとの付き合い方なのだろう。

それで仕方が無いので奥さんの持っているiPadでSiriに曲を聴かせて、この曲は何? と聞いてみた。
そうしたらちゃんとSpanish dance No.5と教えてくれた。流石Siri!

しかし彼女は、ちゃんとiTuensのリンク(有料)も表示する。
しっかりしていると思う。

2017/12/05

車内CMシンクロ率低下


この間電車に乗ったら、何か分からないけれど変な感じがした。なぜだろう、何だかいつもの電車と違うような気がする。

ふと見ると、ドアの上に有るモニターが写しているCMの内容が、あちら側のものとこちら側のものとで違う事に気づいた。再生のタイミングがズレている。どうも、これに違和感を覚えたらしい。

自分はどうも、起こるべきことが然るべき時間の範囲内で起きる事を無意識にも期待しているらしい。
これ多分老化現象だよな。

2017/11/21

よく混ぜるのも調理



娘はずっと欲しがっていたミキサーをグランマに買ってもらい大喜びで何か飲み物を作っている。
凍らせたミルクと氷と砂糖、それに抹茶。
材料だけ見るとそれぞれ用意できるものだけど、これを意中の飲み物にする為にはどうしてもミキサーが必要で、ミキサーが有って初めて味わえるもので有るらしい。
ミキサーと言うのは偉大な調理器具だと思う。

昔高知に住んでいた事のある奥さんから、あちらの方では喫茶店とか食堂とかのメニューには必ず「ミックスジュース」というのが有ったという話を聞いた。
これは基本的に、ミルクにバナナ、そして各店オリジナルレシピでその他数種類の果物を入れてミキサーに掛けたもので、とっても美味しくて皆大好きとの事。
他の所に引っ越すとどこにも扱いが無くて寂しい思いをするみたいで、ミックスジュース愛にあふれる地元住民にとっては半ば郷土料理になっているらしい。

所でミキサーで思うのだけど、単語の後ろにダーとかサーとか付けるだけで言葉になってしまう英語って面白い。ミックスする機械という事でミキサー、ってとても分かりやすくないですか?

日本語でなんて言うのか気になった。
ヨクマゼールだろうか? とか思ってWikipediaを見たら、これをミキサーって呼ぶのは和製英語だった。

2017/11/07

通販と言っても誰かとは対面する


 不思議な現象としてのシンクロニシティは、現代では否定されている。
とは言え、何らかの理由で人が同時に同じことをするというのは実際有るわけで、この度は日本中の人がたまたま同時にヨドバシカメラの通販を利用するという事が起きてしまった。
現場はもう大混乱だったようで、うちが注文した商品も普段より大幅に遅れて提示された予定の日よりさらに一日遅れて届いた。
しかしよりによって何でみんな同じ日にヨドバシで買い物をするんだ? と言う問いは原理的に、同じ日にヨドバシで買い物をした自分にも向けられる。(済みません)

 品物を受け取った奥さんによると、届けてくれた郵便局の人は玄関で配達日のラベルを見て「ああっ、これ、昨日じゃないですか! 遅れてすみません」と言ったそれはきっと演技だとの事。
以前ヤマト運輸のバイトをしていた彼女が言うには、通販を利用した客が何らかの不満を抱いた場合、その不満はまず届けてくれた運送会社の職員に向けられる事が多いらしい。なのでドライバーは、それが予想される際は玄関先の相手に対して予防線を張るのだそうだ。
客が文句を言いたいのは分かるような気もするけど、それが届けてくれた人に向けられるというのはやはり理不尽な話だ。

因みに写真は今回購入したミニ三脚。今週末に使う予定。言い訳チックだけど。

2017/10/29

自我の外延としてのぬいぐるみ


これはコストコで買ってもらったクマのぬいぐるみ。娘は気に入ったようで、家の中を持って歩いている。

 ぬいぐるみって、自分を象徴するもののような気がする。それをどこかに持ち込むという事は、その空間に自分というものをマーキングする記号になるのだと思う。

 亡くなられた身近な人の遺品がその持ち主がこの世に生きていた事を感覚的に理解し、その人の記憶の蓋然性を主観的に保証する記号だとしたら、ぬいぐるみは、それが有る事によって自分自身が今現在この世この場にいる、という事を自分自身に対して分からせてくれる記号になるのだと思う。
 うちの奥さんは家のあちこちに移動しているこのクマを見るにつけ、役に立たないもの無駄の最たるもの、などと言うのだけれど、無駄なんて事はなくて実はむしろ生きている実感を得るという意味で生きるのに役立っているのである。
多分。

 娘からは、寝ているパパのイビキがうるさい時にはこれで叩くのだと聞いた。物理的にも役立っているらしい。

2017/10/16

AL-38432DSが思った以上に良かった


パソコンが壊れ、色々あって今まで使っていた高性能サウンドカードが使えなくなった。
なので、音を出す機械が必要になりAmulechのAL-38432DSを買った。

一応マザーボードにも音源が付いていてそれなりに良い音を出すのだけど、今までのサウンドカードに比べるとやはり分解能は低く、ミックスダウン作業には使いにくそうだなと思ったから。
正直言うと前から欲しかったというのも有る。

繋いで音を出してみたら流石に分解能はけた違いに良い。
だけど、線の細い音色だとも感じた。録音のあら捜しには良いけれど、これは何かオーディオって感じじゃ無いなと。

所が、半月ばかり使っていたらある日突然音が変わって驚いた。
もう、今までスピーカーコーンの表面に糊付けされていた音が剥がれたという感じで、何を聴いても素晴らしい。
これかエイジングの効果なのだろうか? Amazonの評価でアナログ的音色と書いていた人がいて、初めは大げさだと思ったけれど、今の音を聴くとその評価は言いえて妙と納得できる。

これからは毎日幸せだ。これで26,000円と言うのは安いと思う。

結局、買い物における「安かった!」は喜びなのだと今書いていて思った。

2017/10/11

頭の中でなり続けている歌達



娘はOKストアで買ってきた乾燥タピオカを水で戻している。
これを数時間水に浸した後茹でると、例のタピオカになるらして。
学校から帰ってきたら早速茹でて、自分で作った抹茶ミルクに入れて飲んでいた。

自分は、タピオカに関連する何かを見たり聞いたりすると、まるで依存症の人が突然の渇望に襲われるように、昔小田急町田駅前広場で流れていたタピオカの歌が頭の中に聴こえてくる。
駅前のビルに掲げられた巨大なモニターで流れていたタピオカ屋さんの宣伝が音源なのだけど、あれは店で働いているバイトの女の子に出演してもらったのかなぁ、それがあまり上手くない歌で、でも聴いていると喜びと恥じらいに身を捩らせてしまいそうな暴力性あった。

気になると言えばこの間保育園の運動会で聴いたイチゴ大福の歌が頭から離れない。
あれは一体何だったのだろう。

2017/09/28

歩き読書の二宮金治郎


運動会の撮影に行った某小学校に有った。二宮金治郎の像。
背中に薪を背負い、歩きながら本を読んでいる。これが一般的なスタイルだと思う。

これが歩きスマホを肯定しているように見えて危ないから、薪を背負った金治郎が座って本を読んでいる像が建てられた、てな事が以前話題になっていた。
金治郎も座ってしまうとその像の仕事中の移動時間を活用して勉強する姿の勤勉さを表し伝えるという意味が削がれる気もするけど、歩きながら本を読むなんて危ないじゃないか! という意見は実はスマホ時代よりずっと前から有ったらしい。
それはそうだなとも思う。

そもそも、金治郎君が歩きながら本を読まなければいけなかったのは時代なり家庭なりの事情があったからで、小学校で美談として教わった雪明りとか蛍の光で本を読んだなんて話も要は貧乏とか扶養者のケチがそうさせたという今聞くと可哀そうな話だ。

貧乏な家庭で勉強時間や場所が確保しづらいというのは、現代でも切実な問題なのかもしれない。橋本駅に有る市の施設や図書館には机が有って学生が勉強に使えるようになっているのだけど、通りがかると、多くの学生がそこで勉強しているのが見える。

今そうやって困難を創意工夫で克服して勉強している人の中には、将来社会にものすごく貢献して有名になる人もいるのだろうなと思う。
その人が図書館で勉強する姿というのは像にしにくいだろうけど。

2017/09/26

息は鼻の穴から

自分にとって秋はなぜか鼻炎の季節だ。
鼻水が出ているわけでもないのに、鼻で息が出来なくなる。
その時はもう本当に辛くて、力いっぱい吸っても吐いてもシューシュー音がするばかりで、空気は呼吸に足りるほどには通ってくれない。

でも最近、それでも頑張って鼻から息を吸ったり吐いたりしていたら、そのうち息が出来るようになってきた。原理は分からないけれど多分、鼻が詰まっていると呼吸が出来ない! どうしよう! と体が自分で思って、血流とか免疫とか使えるものを使って対処した、という事だと思う。

普段無意識で行っている呼吸に意識を向けるというのはつまり、頭のどこかが常に意識のスイッチON状態ということだ。
これは、姿勢や立ち居振る舞いを正すとか、いつも(作り)笑顔を心掛けるとか、そういうのに似て、良くも悪くも人の性格をちょっと変える気がする。
個人的には、悪い意味でのこだわりが薄れて、物事に対して事務的にして合理的かつ打算的に対応する割合が強くなったような感じがする。

2017/09/20

タイヤ公園


古タイヤを使って作られた巨大なオブジェのあるこの公園は、東海道本線の線路脇、蒲田駅の近くにあった。

この、今は間違いとされるクラシックなティラノサウルスの立ち姿的オブジェの腕の先にはプラスティックで出来た手が付いているのだけど、これが人間の手みたいで妙におかしい。

なぜこんな手が付いているのだろう?
このオブジェをデザインしたのは市役所の人で、モデルは知り合いのおばはん、とか、そういう話ではないだろか?

2017/09/11

突然の贈り物


数日前、家に居たら突然視界が左から右に流れはじめた。
それはもう激しい目まいで、頭を自分が取れる姿勢の限りの一番下に置いたままその場を動けない。

あんまり苦しいので、このまま倒れてしまって気づいたら超能力者になっていて、世界の悪党と戦うはめになるのではないかと心配した。
しかし、幸い寝ていたら大体治って、次の日一日ちょっと気持ち悪い位で済んだ。
健康は有り難いと改めて思う。

何であんなに目まいがしたのだろうって話していたら奥さんが、太陽フレアのせいじゃない? とか言うのだけど、伝書鳩じゃないんだから。

2017/08/17

記号の組み合わせ方による混乱


学校で行われている夏期講習の授業から帰ってきた娘はスカートだけズボンにはき替えて家の中にいる。
何だろうこの架空の民族衣装感。
見慣れた漢字の辺と旁を組み替えて出来た読めない字みたいだ。

2017/08/06

郵便は文明の有り難さ


今日も速達を出した。

出したと言うか、郵便局の人がウチまで取に来てくれる。
日曜日にも電話一本で集荷に来てくれて、しかも明日には先方に届けられるという郵便制度は、大変ありがたいものだ。
こういうのを文明と言うのだと思う。

速達を出す時には、切手の下に赤い字で「速達」と表記する。
この間それを書く時に、一文字目に間違えて「達」と書いてしまった。
仕方ないので二文字目にはそっと「速」と書いた。

「達速」でも、先方には速達としてちゃんと届いた。

修理



 奥さんが壊した日傘を、娘は修理している。そして、作りと動作原理を無視して使うから壊れる。だからよく見て理解するように、と、要約するとそういう意味の事を言っている。

 私もここ久しぶりにちょっとお休みなので、この間接触が悪くなったカメラのリモートスイッチの接点を直し、外皮がぶっ千切れたオフシューコードを接着剤で修理した。
こういうのははっきり言ってヒマが有るから出来る事だ。忙しかったら、古い物は捨てて新しいのを買っているかもしれない。

じっくり見て考える事が出来るのも、自分で物の修理をするのもヒマだから出来るので、ヒマって大切だと思う。

2017/08/05

それはフクロウナギ



親子で電車に乗って来たその子供が持っていた巾着袋には、子供向けに抽象化された様々な魚のプリントがされていた。席に座るなりしげしげと眺めている。
ひょろ長く顎だけ大きく開いた魚を見つけたその子は、母親にこれ何、これ何と聞いていた。

「君! それはフクロウナギだ。」
と言いたかった。
スマホで本物の写真を見せたかった。

でもそういう自分をなんか変な年寄りみたいだとも思った。
母親は知らないと言っていた。

2017/07/24

フェンスの外に掛けられたシャツ


この写真は電車の窓から撮られた。
電車はこの後短いトンネルに入り駅に着く。
二枚目は一枚目の写真をトリミングしたもの。

2017/07/18

一受験生

娘は勉強中。
ダイニングテーブルで勉強している足は椅子に載せられている。反対側の足は反対側の椅子に載せられている。

この間、学校で受けた試験の結果である教科の点数があんまり良く無かったというので聞いたら70点内外だったとの事。
うーむ。自分が高校の頃はテストで70点台を取ったら良く出来たと大喜びだったけどなぁ。

実際今、学校では10位以内の成績で、いいじゃんそれなんて思ったらそれでも全国学力テストでは志望校の受験にギリギリの成績だそうで、焦っている様子。

たとえ落ちても大丈夫、パパは高卒だけどちゃんと写真屋やっているよ。と言ったら、それだけは絶対ヤダとか言って泣かれてしまった。

寝苦しい日に夢を見る


暑い日が続く。よく夢を見る。多分、浅い眠りが見る夢を覚えたままの状態で目を覚まさせてしまうのだろう。

夜見る夢が夢だったと分かって安心する事が有るけれど今日見た夢がそれで、スーパーマーケットに買い物に来ている自分がふと気づくとパジャマを着ていた。
困ったなぁ、皆こちらを見ているじゃないか、今すぐ帰ろうと思っていたら、パジャマのズボンがずり落ちてパンツが丸見えになった所で目が覚めた。
実に嫌な気分。

ひょっとするとこの夢から深遠な深層心理を読み取る人がいるかもしれない。曰く、寝間着姿で人前に出るのは性欲を表している。人にパンツを見せるのは極度の性的抑圧を表している等々。

でも、自分ではなぜこのような夢を見たのか、その理由は大体分かる。それは多分この間、下板橋に行った時の事、こういう光景を見たからだ。

そこは老人の多い土地だった
コンビニに寄ったら、近所の人と思しき老人が買い物に来ていた。
パジャマを着ていた。
スウェットとかジャージとかでは無く、灰色のネル生地にブルーの縦縞が入った、病院の入院患者が着ているような正真正銘のパジャマだった。
何と場違いな。何かの間違いなのか? 本人はどういう気持ちでいるだろう? 恥? 羞恥心は有るのか? 
しかしその人は、店員とは知り合いのようで、普通に会話をしていた。


・・・という経験が強烈な印象として残っているので、夢に出てきたのだと思う。

因みに、夢の中でパジャマのズボンがずり落ちたのは、今自分が着ているパジャマのゴムが実際に緩いからに他ならない。本当にストンと落ちる。困ったものだ。

2017/07/08

モス、モヤス続報

下のエントリーの続き。
もやすと書いてあるこれは新宿は曙橋駅の近くにある住宅街で撮影された。

しかし、ゴミ捨て場とか、ゴミ収集のシステムとか有ると嬉しいサービスの一つだと思う。
ゴミ処理、下水処理は高度な文明の証だ。
ゴミ捨て場の写真が人に受けるかどうかはまた別問題だけど。

2017/06/19

もす vs. もやす


 これは、小田原のごみ置き場の看板。
文字が3Dでビヨーンと飛び出したりして、昔のワープロソフトで作ったみたいなデザインがカッコイイ。

 しかし、可燃が「もせる」と表記されている事には正直ちょっと驚いた。普通は「もやせる」って表記するだろうと思って、でも調べてみると実はどちらでも良いらしい。
(加えて述べれば 「もす」は実際に物を燃焼させる事にだけ使い、「もやす」は物以外にも抽象的な、例えば闘志とか嫉妬とかをかきたてる事にも使うという違いが有るとの事)


 とは言え私は小田原の人に、一般には「もす」より「もやす」の方が通りが良いと教えたい。

例えば昼休みに 「マックに行こうよ」 と言われたとして、
「うーんいいけど、どうせならモスにしない?」
とか答えると、意味は分かるかもしれないけど、分からない人はやっぱりちょっと考える。

小田原を出たなら、モヤスバーガーと言ったほうがよく伝わるから覚えておいて欲しい。
 

2017/06/10

光源は大切

台所の蛍光灯が切れたので取り替えたのだけど、これがどうにも色が悪い。
一応白い物は白く見える。
だけど、その他の色は何を見ても暗くくすみ、まるで表面に当たった光がどんどん吸収されてしまうかの様に変な色に見える。(本当は単にその波長の光があんまり出ていないという事なのだけど)
なのでこの台所で調理中の食材は、肉も魚も野菜も果物も、本当に美味しく無さそう。

この蛍光灯を買う時奥さんが、「一番安いのでいいわ」とか言うので買ったのだけど、これ多分団地の階段用だよ。


やんぬるかな安価なプリント


先日ウチの奥さんが、最近まで通った講座の会社から、最終日に皆さんと撮った記念写真を頂いた。写真を貰うのは記念としてとっても嬉しいし、集合写真は上手に良く撮れていると思った。

でも、プリントはあんまり綺麗では無く率直に言って補正の掛け過ぎで、線は太く、暗部は持ち上げ過ぎと言う印象を受ける。
撮影にはデジタル一眼レフが使われたとの事だけど、折角のデータも、この仕上げではコンパクトデジタルカメラと変わらない。
これは多分、プリント時に自動的に補正が掛けられているのだと思う。

こういう大切な写真を複数枚プリントに出す時には、ちゃんと人がいて仕上がりを相談できる、カメラのキタムラ等の写真屋さんがいいと思う。料金はちょっと高くなったとしても、それだけの価値は有る。

2017/06/08

本は自分自身を表す


 今日久しぶりにアリオ橋本の書店を覗いたら模様替えがされていた。
店内には私の大好きなスカルラッティのソナタが流れ、併設される事になったターリーズカフェには何と! 購入前の本を持ち込んでそこで読む事が出来る制度が施行されている。
今時の本屋は凄い努力をしているのだなと思う。

 しかし、写真集のコーナーを見てみると、それが、悲しいかな品揃えが極めてショボい。
一応、荒木 経惟とか梅佳代とかは有るのだけど、でもそれ以外は猫の写真とか観光地の風景斜視とかで、(それが悪いとは言わないけれど) はっきり言って改装前の方が刺激的だった。

 本屋に関して述べると、渋谷や六本木の本屋の方が品揃えは断然宜しい。欲しいものが見つかるし、その上その本の隣には次々自分の知らなかった良い本が見つかる。もう、買いたい本が沢山有り過ぎて過ぎて幸せいっぱいって感じになるのだけど、それが本屋ってものじゃない?
世間にはもっと素敵な本がいっぱい有る筈なのに、コーナーの担当者のせいか、それとも橋本という土地柄に最適化されたセレクトなのか・・・

 本屋と言えば、最近気になるのはミニマリストとか断捨離とか、とにかく自分の持ち物は捨てろという風潮で、あれはどういう事なのだろう。
本棚と言うのは単なる捨てても良い物が詰まったゴミ箱では無い。本棚は自分を作って来た過去そのものだ。そしてそのうち自分の許せるもの、つまり現在の自分自身を表しているものだ。
また本を買うという事はその人を拡張するという事で、例えば新しく写真集を買ったとして、それを本棚に収める事それはつまり、自分自身の外延を拡張する行為なのだと思う。

本を買うという事、それを本棚に収めるという事、これを否定するやつは人間を否定しているのだと思う。自分の価値観でしか世界を見られないやつには、少なくとも他人の人生に口出しをしてほしく無い。
それから本屋はアホ達におもねるのではなく読むべき本、見るべき本を並べて欲しい。

2017/06/07

液体調味料のカクテル



ウスターソースとトマトケチャップとマヨネーズを混ぜている。
今夜のトンカツ用。
このミックスを知らない人にこの味を説明するのは、しかし簡単だ。
味は正に今あなたの頭に浮かんだ通り!

「イタリア人はいつもイギリス人を何にでもソースをかけて料理の味を台無しにすると言ってバカにするけど、そもそも料理にかけるソースを発明したのは古代ギリシア人つまり彼らの先祖なのだ」
とは、保存食品開発物語の一文。
何かにつけ思い出しては一人で笑ってる。

2017/06/04

ロック板、下がってますか?


今日駐車した所に出ていたこの看板、間違いとまでは言わないけれど、気になった事が2点ある。

1.×印の使い方
 入庫・出庫 不可能の文言の上に×印が描かれているが、
 この位置に×印を付けるのは不適切だ。なぜなら、

 もし、×を否定と解釈するならば、不可能の否定となる。
 そうすると、入出庫が不可能では無いつまり可能と解釈される。

 また、×が不正解と言う意味なら(テストの答案はそういう意味で×印が点けられる)、
 この文言は間違いである、つまり、ロック版上昇時に入出庫不可能という文言は間違い、と解釈される。

2.「不可能」という文言の用法
 本当にロック版が上がっていると入出庫は不可能なのだろうか?
 実際の所、オフロード車はロック版を乗り越えて走行できてしまうだろう。
 (それに不可能と言われるとあえて挑戦したくなるのが男というものだ)

 ロック版が上がっているという事は、車の出入りが不可能という事では無く、契約上あるいは課金システム上入出庫を許可していない事を表している、と見なす方が自然だ。
 なのでここは、「不可能」では無く、「不可」とすべきだ。

文系の教育は役立に立たないとか言う奴に限ってこういう看板あるいはそれ的なものを作るのだと思う。

2017/05/17

野川公園




野川公園は近くに住んでいた事が有り、昔家族でよく遊びに行った。
その当時なぜかわき水に興味があった私はその公園に湧水が出ている所を見つけ、子供の私はそれを見つけるととても喜んでその水をがぶがぶ飲んだ事を覚えている。
(その藁のような味まで覚えている)

今日近くを通ったので久しぶりに寄って見たら、その水が出てくる所はまだ有った。
看板が立っていて、飲料不適と書いてあった。

2017/05/15

ナスカイのノート


 梅佳代の新作大学ノート風デザインの写真集のデザインの大学ノート。
中身は本物のノートです。

2017/05/13

ハトが飛んでいる


 自転車に乗って信号待ちをしていたら、しばらく会っていなかった顔見知りのおばさんにバッタリ出会った。
そうしたら、
「まあ、吉川さんご無沙汰・・・ あ、(やや間が空き) ・・・吉川さん・・・」と言われた。

どういう事か?
これは半分想像なのだけど、その人は私の事を私の父親と勘違いしたのだと思う。
何故そう思うのかと言うと、彼女は私の事を子供の頃からずっと名字では無く下の名前を短くした愛称で呼んでいたからだ。そして父の事は、吉川さんと名字で呼んでいた。

こういう体験は重なるもので、ついこの間実家に行った時にも、たまたまそこに来ていた近所のおばさんに、「まあ、お父さんに似て来て」と言われた。
どうも私の印象は父親にそっくりらしい。

遺伝だ。
反面教師と思っていた人物と外見もそして中身もそっくりになってゆく自分に腹が立つ。
なので娘が、「最近(本人が)パパに似て来てヤダ」とか言っているのも、そうだろうそうだろうって感じがする。

2017/04/19

筍を頂いた


嬉しいじゃないか、知り合いから筍を頂いた。
剥いた皮の端を食べてみた。採りたてでエグ味が無く美味しい。
筍は野生の猿も好んで食べるそうで、こういう食の楽しみは雑食動物ならではだ。

娘も皮に梅干しを包んで食べていた。
千葉が地元のグランマに教わった遊びなのだけど、これは何なのだろう?

私の母も地元が千葉で、筍を剥くとやはりその皮で梅干しを包んで子供達に与えていたのを思い出す。
千葉特有の習慣かと思ってネットで調べたら、どうも違って、日本中で行われている普遍的なものらしい。
人は筍の皮を剥くと、よしこれに梅干しを挟んで食べてみよう、と思うものなのかもしれない。

2017/04/15

ミックスダウンが終わった


この間の発表会で録って来た録音のミックスダウンが終わった。

今回のプログラムの中にはピアノとギターとのアンサンブルが有った。
メインのマイクで録った音のみだとギターの音が小さ目でピアノに負けるので、予備で録った音源のギターっぽい部分の音域を持ち上げてちょっと重ねて調整をする作業を行った。

これが結構難しかった。作業の間は当然、演奏されたその綾香のにじいろを何度も何度も聴いたのだけど、そうしたら作業後も曲が頭から離れなくなった。
好きになったらしい。

男女が船旅をすると長時間閉鎖的な場を共にする為にそのうち出来上がってしまうという話を聞いたことが有るけれど、なんか納得してしまう。

しかしこの曲って、冒頭の部分が戸川純の蛹化の女に似ている気がする。

佐倉


子供の頃母と田舎に帰る時乗った総務本線の駅には当時の時分には不思議な駅名が幾つかあった。
東京から行くと千葉より手前に妖怪千葉と言う駅が有って、随分変な名前だなと思っていたら意味が違うと言われた(本当は八日市場) それから佐倉という駅も有るのだけれど、これもどうしても桜に聴こえた。

通りがかったので佐倉に寄って見た。
この駅は蒸気機関車の昔停車時間が長く、その間弁当屋がホームを歩いて来るので乗客は窓を開け手を伸ばして駅弁やアイスクリームを買ったそうだ。
自分も昔アイスを買って貰った記憶が有る。その頃の列車はもちろん電化されてはいたけれど、窓はまだ手で開けられた。

2017/04/09

悲しいと楽しいとの量子力学的重ね合わせ

ペンキの色によって錆に対する傾向が違うようで、この看板はこんなに錆び錆びになっても辛うじて字が読める。
「川をきれいにしましょう」
雨の中でも傘を差し釣りをしている人がいた。

Sightron M728

橋本駅構内の書店の店先に、戦隊物関係のおもちゃが売られていた。
今は本屋の商品も多角化して来たな、なんて思って見ていたけれど、違う。この間行った保育園で、おもちゃ買ってぇ、と親に訴えていた子供がいた。
そう、四月というのは、子供は物が欲しくなる季節なのだ。本屋はそれを知っている。

 と言う訳で、自分も最近意味も無く写真は向かって左の単眼鏡を買った。もうとっても嬉しくて、毎夜満月に近づいて来る月を眺めては天変地異の予兆を探ったりしている。

 Sightron M728の見え味はと言うと、普段ファインダー越しにCanonのレンズを見慣れている目には、率直に言って色が薄い。
以前知り合いに20万円とかする双眼鏡を見せてもらった事が有るのだけど、その時感じた裸眼で見るより綺麗!見える世界が超ゴージャス! という感じにはちょっと及ばない。
しかし、歪みもにじみも少なく周辺画質も割かし良好で長く見ていても酔いにくく疲れにくい本製品は、実用品としての使い心地は良い物だと思う。

 ミルスケールは面白い。たまたま自分の真上を通過したC130の長さを計ったら30ミル位だった。C130の全長は30m弱だから、自分との距離は大体1kmと言う事が分かる。
今までただ感覚的に見ていた光景がこのように数値化される事を体験して、使える言語が一つ増えたような気がした。

 因みに、写真右の単眼鏡は娘ので、子供の頃叔父からのプレゼントとしてもらった物だ。もう10年以上前の物だけどいまだに視界はクリアで、問題無く使える。

2017/03/25

オンブラマイフなんて嫌いだあっ


今日は卒園式で卒園児入場の音楽にオンブラマイフが流され涙が出て出て止まらなくて困った。
撮影で昂った神経にこういう音楽はこたえる。
泳げかなづち君とかで入場してくれればいいのに・・・


2017/03/21

文明は滅ぶ





放射性廃棄物の最終処分地オンカロ建設のドキュメンタリー映画の中に印象的な場面が有って、それは会議の場面なのだけど、入り口をふさいだ後にどんな看板を作るかで揉めていた。
議題はここの危険性をどう伝えるべきかどうかという話で、何を心配しているのかと言うとそれが、文明が滅んだ後の事なのだった。
ある人は、危険を伝える何かを残せばそれはかえって好奇心をそそるから危険だ、と言っていたけれど、そうだよな、考古学者は墓を暴いてしまう。

因みに写真のここは、秦野市立桜土手古墳公園。