2017/10/29

自我の外延としてのぬいぐるみ


これはコストコで買ってもらったクマのぬいぐるみ。娘は気に入ったようで、家の中を持って歩いている。

 ぬいぐるみって、自分を象徴するもののような気がする。それをどこかに持ち込むという事は、その空間に自分というものをマーキングする記号になるのだと思う。

 亡くなられた身近な人の遺品がその持ち主がこの世に生きていた事を感覚的に理解し、その人の記憶の蓋然性を主観的に保証する記号だとしたら、ぬいぐるみは、それが有る事によって自分自身が今現在この世この場にいる、という事を自分自身に対して分からせてくれる記号になるのだと思う。
 うちの奥さんは家のあちこちに移動しているこのクマを見るにつけ、役に立たないもの無駄の最たるもの、などと言うのだけれど、無駄なんて事はなくて実はむしろ生きている実感を得るという意味で生きるのに役立っているのである。
多分。

 娘からは、寝ているパパのイビキがうるさい時にはこれで叩くのだと聞いた。物理的にも役立っているらしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿